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菅沼 荘二郎 油彩画

菅沼 荘二郎の油彩画近作9点を御紹介します。

寒山と寅 雪舟の花鳥画より アリ
油彩 91.0cmx72.7cm 油彩 91.0cmx72.7cm 油彩 91.0cmx72.7cm
2012年 2012年 2011年
\300,000 \300,000 \300,000
        
油彩 65.2cmx53.0cm 油彩 65.2cmx53.0cm 油彩 65.2cmx53.0cm
2011年 2009年 2009年
\150,000 \150,000 \150,000
        
2輪 落ちる
油彩 65.2cmx53.0cm 油彩 65.2cmx53.0cm 油彩 53.0cmx45.5cm
2011年 2009年 2005年
\150,000 \150,000 \100,000
        
菅沼 荘二郎 水彩画

菅沼荘二郎  水彩画  16点  ワトソン紙B全版(766mm~1092mm

16点全てこのサイズです。   価格  1千万円(16点を分けません)

 この作品は1998年から2000年にかけていっきに描いたもので、ある統一した気持ちでつながっているので、16点を分割せず、一括して扱いたいと思います。16点まとめて1千万円とは私が独断的に決めたもので、一般的な日本のマーケットでは通用しません。現時点ではおそらく不可能とおもわれます。

 マーケットでの価値は時の流れに従って変動するので、安定したものとはいえません。しかしマーケットで評価された価値は、確かに客観的な価値につながるところが大きいことは事実です。従ってマーケットの存在は芸術家にとって非常に重要な要素になります。マーケットが芸術家を動かすとも考えられます。

 この観点から現代の日本の絵画におけるマーケットを見てみると、理想的なマーケットといえるでしょうか。海外の評価に重点をおいて、日本の中の個人、個人の絵画に対する、創作に対する創造的な見識が非常に弱いものになってはいないでしょうか。日本は太古の昔から、中国、朝鮮の影響を受けながら、日本独特な美意識が存在していました。室町、戦国、桃山、江戸につながる絵画の展開は目を見張るものがあります。雪舟をはじめ、大和絵の作者不詳『日月山水屏風』、狩野元信、永徳、長谷川等伯、俵屋宗達、尾形光琳、江戸時代には文人画を含めた多様な水墨画、禅画、版画などユニークな絵画が出現し、このような絵画を受け入れることの出来る社会環境が存在したといえます。日本の文化の中には日本特有な創作物に対する反応能力があります。春、夏、秋、冬と適度に気候が変化し、暑すぎず、寒すぎず、国の大きさも適度で、島国なので外敵の侵入も困難、このような自然環境は人を難しい状況に追い込まない。重さを嫌い、しつっこくない、軽い諧謔を好み、人を楽しませ、面白がらせて愉快に過ごそうという楽天的なところがあります。自然に順応しながら、そこにひょっと生じる意外性、自然の不可思議さ、そのようなものに敏感に反応する能力を日本人は持ってきているように思えるのです。海外から入ってきた禅の世界は日本で大きく影響を受け、日本社会に根付き、日本文化を抽象性の高い、特別なものに作り上げていると思います。日本の豊かな自然環境に加えて、この禅の導入は日本の創作物に豊かな芸術性を与えました。江戸時代までは日本では創作物に対する鋭い眼は、確かなものとして存在したと思います。しかし明治以降この創作物に対する鋭い眼は徐々に衰退し、第二次世界大戦以降ますます弱くなっています。何らかの動きがあってもそれを育てる環境が出てきません。西洋の文明は世界の動きに大きく影響を与え、日本もこの文化を全面的に受け入れています。従って絵画の分野も西洋の価値判断を優先することは必然といもいえます。明治以降日本は西洋の文明を全面的に受け入れ、なんとか続行し、継続してきています。しかし現時点で西洋の文明は危機状況にあり、これからどのような方策をとって行くかが大問題となっています。このような時期に日本は何らかの創作を考え、世界に貢献するようなことを模索すべきでしょう。本来日本人が持ってきた直観力をなんとか回復し、創作に対する鋭い眼を取り戻す必要があります。絵画の分野でいえば、制作する人だけでは解決しません。本来の創作に鋭い眼を向け、それを評価し、人に知らしめる人が存在し、それを購買する力のある人が必要です。海外のもの、日本のもの、あらゆるものを受け入れるキャパシティーを保有し、その中から本来の独自性を見つけ出す能力が必要です。個人、個人の人の中に、自分の眼に強い信頼を持ち、その眼が世界一般の価値判断にもつながる、ある客観性を持つことの出来る人が、どんどん出現し、そのことがマーケットを動かすようになれば、日本での絵画制作は明るいものになるでしょう。

 以上のような美術に関する豊かな環境が日本に出現することを切望します。もしこのような環境が日本に生まれ、美術が活発に動きだすようなことがあれば、私の絵の価格1千万はそれほど高くはないでしょう。

 

鳥と寒山 兎と蛇
水彩と墨 76.6cmx109.2cm 水彩と墨 76.6cmx109.2cm 水彩と墨 76.6cmx109.2cm
1998年 1999年 1998年
  
i
葉と木 水鳥
水彩と墨 76.6cmx109.2cm 水彩と墨 76.6cmx109.2cm 水彩と墨 76.6cmx109.2cm
1998年 1998年 1998年
  
飛ぶ鳥 水の中 寒山拾得
水彩と墨 76.6cmx109.2cm 水彩と墨 76.6cmx109.2cm 水彩と墨 76.6cmx109.2cm
1998年 1999年 2000年
    
菅沼ギャラリーについて
40年以上絵を続けてきた菅沼荘二郎とその仲間たち、それに菅沼アトリエのメンバーの作品を扱います。
私は『となり町の寒山』という題名の著作があります。これには冬の凍てつく夜、駅の近くの路上で腰を折って眠る腰折り尊者・山奥、イノシシ、タヌキが周りに住む、草葺き、朽ちた家に一人暮らすが、たまに上京し夜通し飲んで夜が明けてからやってくる酔っ払い画家M・貧を愛する放浪詩人兼画家、アメリカ人のアーヴィング・ステットナー、など底抜けに自由な人たちのことを書きました。

この書に出る、アーヴィング・ステットナーはヘンリー・ミラーとの友人でした。このヘンリー・ミラーもとても自由な人で、大変変わった面白い方だったようです。水声社でこの方の本が最近沢山翻訳されて出ています。半世紀も前、アメリカ、日本で出版されたときは猥褻だとかなんとかでとても騒がれました。この本は一般的にはとっつき難く、すらすら読めるものではありません。しかしよく読んでみると、現代の、この精神的に圧迫されたような苦しい時代に、ほのぼのとしたあたたかさ、生命的なものを感じます。
こんなわけで、菅沼ギャラリーの出品者はヘンリー・ミラーの友人、アーヴィング・ステットナー、トミー・トランティーノ等と、型にはまらず、自由を愛し、わが道をいく人たちで構成されています。
その他の作品
アーヴィング・ステットナー トミー・トランティーノ 吉岡 和紀
 
江村 達哉 河内 章 松浦 万象
  
 
 
  
小松 陽子 小高 武
   
  
ご購入、ご検討されたい方はお電話かメールにてご連絡ください。オリジナルを御覧になりたい方は当ギャラリーに一部作品は展示してありご覧になれますので、ご連絡の上お越しください。
  

ヘンリー・ミラーについて
ヘンリー・ミラーは1891年、アメリカ、ブルックリンで生まれています。1930年代パリに出てきて、小説を書き『北回帰線』を出版、発表しました。この小説は大変な型破りで、当時これを読んだ人たちは驚きました。美術家の中にも反応した人たちがいます。マルセル・デュシャン、フェルナン・レジェ等です。ミラーの小説は猥褻として騒がれましたが、部分的に見ると猥褻として受け取られそうです。しかし、大局的に見ると猥褻ではありません。スケールの大きな幅を持った作品といえます。現代文明に鋭く切り込んでいく恐るべき大胆さを持ったところがあり、20世紀最も注目すべき小説です。アメリカでは、ミラーの小説はほぼ20年間発禁状態でしたが、1961年発禁が解かれ、『北回帰線』が公に出版され、ベストセラーになりました。20年間ミラーはこの小説の一部を伏せて出版することを断固拒否し、出版出来なかったようです。
ヘンリー・ミラーはアメリカで進行してきた、現代文明の展開について、大変な批判をして、アメリカの社会構造のどこかに潜む非人間性を徹底して追及しています。これにはアメリカの中心をリードする人たちの中には辟易としたものをミラーに持ったようです。ヘンリー・ミラーはアメリカで有名になりましたが、まだまだミラーに対してアウトサイダー的な見方が大きいと思われます。
アメリカがリードする資本主義体制、金融問題とか労働問題、アメリカの世界情勢に対する取り組みを、もっと人間的なところから考え直す必要に迫られていると思われます。これからの社会はこのようなところに視点が与えられるでしょう。このとき、忘れられそうになっている、ヘンリー・ミラーに何らかの問いかけが生まれるような気がします。

日本では最近、水声社からヘンリー・ミラーコレクションとしてミラーの全集が新しく翻訳されています。
日本でヘンリー・ミラーに強く傾倒した美術評論家がいます。久保貞次郎です。久保はヘンリー・ミラーの絵に強く興味を持ったようです。ミラーは小説家ではありますが、水彩画を沢山描いています。久保貞次郎は戦前瑛九と知り合い、戦後瑛九と親しくしていた池田万寿夫を知り、彼らにヘンリー・ミラーを知らされ、ミラーの絵に惹かれたようです。久保はアメリカに住むミラーを池田万寿夫と共に訪問しています。久保貞次郎はコレクターでもあり、ミラーの絵を沢山購入しました。久保貞次郎は1995年に亡くなり、その後、長野県の大町にヘンリー・ミラー美術館が出来ましたが、久保が集めたミラーの絵はそこに納まったようです。ミラー美術館はその後閉館になり、その絵は現在韓国の釜山美術館に納まっています。久保貞次郎はヘンリー・ミラー協会の初代会長でした。

2012年 2月